Yasukoの歴史探訪

日本史、世界史、美術史、郷土史など歴史が好きなので、趣味の写真を撮り込みながらまとめてみたい

      「Yasukoの心象風景」「ブロックフレーテの音色」を作っていますが、実は歴史も大好きで歴史部門を切り離してこのブログに書いていきたいと思っています。

      勢力拡大を続ける宇喜多直家は、高梁の松山城にあった備中の雄・三村家親と抗争を構え、1566年美作に侵入した家親を計略により久米南町の興禅寺にて鉄砲で暗殺した。家親はお福さんの元夫を殺したので仇を討ってもらったことになる。1567年、親の復讐を誓う備中松山 ...

      「備前軍記」に書かれる宇喜多直家は、1529年に宇喜多興家の子として生まれ、幼名を八郎といった。祖父の能家は1534年直家5歳の時、砥石城(邑久町豊原)において、高取山城(邑久町東谷)の島村盛実の夜襲にあって自害した。宇喜多能家の墓所のある大賀島寺のある ...

      戸川氏の始祖戸川秀安は、備後の国門田に生まれる。幼くして父を失う。長じて宇喜多直家に仕える。宇喜多氏が備作の太守となるや、備前児島の常山城主となり、宇喜多家の重臣として活躍した。晩年は友林と号し常山山麓に隠れ世を去った。子の達安(みちやす)は秀家の執政と ...

      昨年の種松山の桜、桜の頃は車で一杯になる。この山の麓に千人塚(岡山県倉敷市広江2丁目)、というところがある。どういう意味があるのかな、何かあるなと思って初めて行って見た。案内板に書いてあるのは「明治17年(1884年)8月25日、岡山県南部を直撃した台風 ...

      戦国の三梟雄といわれた宇喜多直家を伯父に持ち、父親は直家の弟の忠家ないしは春家といわれる宇喜多与太郎基家は1562年に生誕している。直家には、女子が4人いたがそれぞれの悲惨な生涯を送っている。直家は甥の基家を養子とした。1581年4月秀吉から宇喜多家に使者が来た。 ...

      常山は岡山県玉野市の北西部と岡山市南区灘崎町の境に、標高309.2m、その頂上には常山城が文明年間(1469~1486年)に備中の戦国大名三村氏の姻戚である上野氏によって最初に築かれた。以後上野氏の居城となった。3代目の上野肥前守隆徳が最後の当主で、夫人の名前は鶴姫。 ...

      1185年12月7日(現1月10日) 藤戸合戦の開始平氏方は本拠地屋島を守るため、平行盛が現在児島の篝(かがり)地蔵のあたりに城郭を築いていた平氏の兵力は500隻500余騎頼朝が平氏追討の兵をあげたときその武将として代官となったのが異母弟の源範頼であるが ...

      1184年1月  木曽義仲が征夷大将軍となるが、宇治川で源範頼(義朝の六男母は池田宿の遊女といわれる)義経(義朝の九男母は常盤御前)と激突し敗死。同2月  福原まで勢力を回復していた平氏を源義経が摂津一の谷で奇襲(急な坂を馬で下りて背後から攻めた)で撃破、 ...

      1181年閏2月4日  平清盛64歳で「あつち死」高熱に苦しんで死んだ。その頃はすでに嫡男重盛は病死、次男の基盛も24歳で早逝し、平氏の棟梁は三男の宗盛が継いだ。1183年5月  河内源氏の木曽義仲(頼朝の従兄弟)が以仁王の令旨によって挙兵し倶利伽羅峠で ...

      岡山に京橋という橋がある。 京橋の近くには中島地域には遊郭があった。江戸時代には京橋を山陽道が通っていて西大寺町、下之町、上之町へと至った。旭川は岡山の水運の中心として賑わっていた。その橋から大きな羽翼をつけて飛んだ人物がいた。鳥人幸吉、表具師幸吉といわ ...

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