Yasukoの歴史探訪

日本史、世界史、美術史、郷土史など歴史が好きなので、趣味の写真を撮り込みながらまとめてみたい

2019年03月

勢力拡大を続ける宇喜多直家は、高梁の松山城にあった備中の雄・三村家親と抗争を構え、1566年美作に侵入した家親を計略により久米南町の興禅寺にて鉄砲で暗殺した。家親はお福さんの元夫を殺したので仇を討ってもらったことになる。1567年、親の復讐を誓う備中松山 ...

「備前軍記」に書かれる宇喜多直家は、1529年に宇喜多興家の子として生まれ、幼名を八郎といった。祖父の能家は1534年直家5歳の時、砥石城(邑久町豊原)において、高取山城(邑久町東谷)の島村盛実の夜襲にあって自害した。宇喜多能家の墓所のある大賀島寺のある ...

戸川氏の始祖戸川秀安は、備後の国門田に生まれる。幼くして父を失う。長じて宇喜多直家に仕える。宇喜多氏が備作の太守となるや、備前児島の常山城主となり、宇喜多家の重臣として活躍した。晩年は友林と号し常山山麓に隠れ世を去った。子の達安(みちやす)は秀家の執政と ...

昨年の種松山の桜、桜の頃は車で一杯になる。この山の麓に千人塚(岡山県倉敷市広江2丁目)、というところがある。どういう意味があるのかな、何かあるなと思って初めて行って見た。案内板に書いてあるのは「明治17年(1884年)8月25日、岡山県南部を直撃した台風 ...

戦国の三梟雄といわれた宇喜多直家を伯父に持ち、父親は直家の弟の忠家ないしは春家といわれる宇喜多与太郎基家は1562年に生誕している。直家には、女子が4人いたがそれぞれの悲惨な生涯を送っている。直家は甥の基家を養子とした。1581年4月秀吉から宇喜多家に使者が来た。 ...

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