樋門の優雅さを発見して、一日で巡ってみた。

岡山平野では古くから干拓が行われた。宇喜多秀家により干拓が始められ、1692~1824年の池田藩政時代には、沖新田、興除新田など約6800haの干拓地できた。明治になって、32年に着工された、児島湾干拓事業は明治38年まで続き、約5500haの広大な農地が造成された。
明治時代の大阪の豪商藤田組の藤田伝三郎による干拓地は錦、都、大曲、高崎の各農区1200haには干拓樋門など、明治以降の建造物が残っている。

桜の馬場樋門・・堤防沿いに掘られた排水路から排水するために建設された樋門で移築保存されている。煉瓦と花崗岩を組み合わせた美しい樋門
DSC_0165

丙川三連樋門・・明治37年完成。赤煉瓦と花崗岩造り。笠井愛次郎が設計した洋風建築様式で現在も排水樋門として地域に貢献している。
DSC_0179

DSC_0184

常川樋門・・児島湾干拓第一期工事一区、466ha明治32~38の樋門。我国最古のオランダ工法でオランダ人のムルデルが基本計画し、藤田伝三郎が技師笠井愛次郎に依頼し建造
DSC_0204

DSC_0200

宮川樋門・・児島湾干拓第一期工事一区、灘崎町指定文化財。
我国最古のオランダ工法でオランダ人のムルデルが基本計画し、藤田伝三郎が技師笠井愛次郎に依頼し建造
DSC_0216

DSC_0214

DSC_0211

片崎樋門・・児島湾干拓第一期工事一区、県指定重要文化財。
我国最古のオランダ工法でオランダ人のムルデルが基本計画し、藤田伝三郎が技師笠井愛次郎に依頼し建造
DSC_0223

DSC_0222

DSC_0218